症例2

XX XX   50歳  女  夫の会社の事務と主婦
診断   脳出血,高血圧
障害   左片麻痺,左半身感覚障害,左側不注意,左視力低下
既往歴  1991年(46歳),左眼底出血があり光凝固手術を受けたが,視力は0.02と回復せず。

現病歴  1990年頃(45歳)から高血圧(140/90程度)を指摘され,近医で治療中であった。1995年1月1日朝,,ゴルフ場のトイレでめまい,嘔気が出現。救急車で某病院へ入院。臨床所見と頭部CTから脳出血(右視床)による左片麻痺の診断を受けた。入院後2~3日は意識がなかっ た。1月10日から経管栄養ならびにベッドサイドでのリハピリテーションが開始された。18日から経口摂取と車椅子使用が開始され,22日頃から本人の記憶がはっきりしだしている。2月に入って起立訓練,中旬に平行棒内の歩行訓練が始まった。1995年3月15日当院に入院した。

入院時現症  身長156 cm,体算55 kg,血圧102/67 mmHg,脈拍85/分。心肺腹部に異常を認めず。神経学的には,意識は清明,知能はHDS-Rは30。線の二等分,抹消試験では正常であった。左片麻痺の病態失詔はないが,車椅子のプレーキ操作などで左側の不注意がみられた。 左視力低下C0.02)。左片麻痺(プルンストローム・ステージ:上肢1’手指2’下肢3),左半身の表在・'深部感覚の重度障害。左股関節に軽度のROM制限がある以外は合併症はなかった。 検査所見血液では、総コレステロール248 mg/dl.中性脂肪225 mg/diの高脂血症を認めた。尿,X線,心電図は異常を誇めなかった。

初期評価  体幹下肢運動機能はMOAll, 10m最大歩行速度は短下肢装具、4点支持杖を使用して3.8m/分であった。上肢機能はMFSで右100,左0であった。知的機能は言語性IQ 87,動作性IQ 80,全検査IQ 83, HDS-R 30であった。課題が複雑になったり速さを要求されると,左空間への注意力低下がみられた。ADLはBI 55で,車椅子移乗,歩行,トイレ動作,入浴,階段など移動動作を要する項目が困難であった。自転車エルゴメータによる運動負荷(40watt 程度)では心電図に虚血性変化を認めなかったが,日々の訓練に易疲労性を訴え,体力低下がうかがわれた。SDS(自己評価式抑うつ性尺度)は41であり,食欲,睡眠に問題はみられなかった。

問題点   左片麻痺が強く,左空間の不注意があるため,どこまで安定した歩行が可能となるかが問題であった。復職希望があり,現実との隔たりがあった。

治療計画とゴール設定  3か月後の予測では,BI 79で十分に在宅生活は可能と予想された。 一方,上肢機能はMFS20以下であり補助手レペルにとどまるが,MOAは20程度であり3か月の入院で平地歩行は可能と予測された。在宅で主婦としての仕事ができるための訓練だけを行うか,患者の復職希望に添うための自動車運転習熟訓練まで行うかが問題となった。予後予測からは復職は困難と考えられた。会社が夫の経営する個人的なものであり,来客の応対程度でもという本人や家族の希望があった。疲労感が強かったため意欲を維持させる目的で,予後予測が示すゴールを最初から設定するのでなく,訓練の過程を通じて能力低下の受容をはかるという方針をとった。

経過    2か月後。MOAは34.5となり階段昇降も監視下では可能となり,病棟内歩行を自由とした。歩行の改善にともないBI85と上昇した。復職希望を優先していたことから,3か月後から作業療法の調理動作訓練を自動車運転習熟訓練に振り替え,開始した。また,外泊を反復し,家屋や職場の改造点の検討を行った。1か月の自動車運転習熟訓練を行ったが,状況判断, 操作上の問題,不注意などがあり打ち切りとした。夫と相談し,在宅生活を主体として,職場には家族の運転で時々出勤することとした。最終的には,自宅だけの改造で十分と判断された。身体障害者手帳の申請を行った。高脂血症は食事療法で正常化した。高血圧は塩酸ニカルジピン60 mg 3X,マレイン酸エナラフリル10 mg 2Xと減塩7gの食事療法で130/80程度に改善した。退院前に調理を分担する娘と本人に栄養指導を行った。

最終評価   MOA 34,最大歩行速度はプラスチック製短下肢装具(AFO), T杖で54.Sm/分, MFSは予測より若干良く31であった。Blは階段昇降だけが要監視で90であったが,これ以外は自立した。外泊を通じて在宅生活が可能であること,家族の協力で時には職場にも出掛けられ ることが確認された。

帰結     発症から8か月,当院での入院期間は5か月弱で自宅へ退院した。退院までやや 時間を要したが,当初の目標は達成した。

小括     結局ほぼ予測通りの機能回復をみた。左空間の不注意は麻痺の回復には大きな制約因子にならず,入院後3か月で平地歩行のゴールは達成されていた。しかし,復職したいとい う患者の希望との調整,自動車運転習熟訓練の経過などのため,予定した3か月の入院期間より 延長してしまった。予後予測より高い目標についての可能性の検討を行ったためであった。明らかな病態失認は認めなかったが,現実の認識が乏しいことは一種の意識性の低下と考えられた。

投稿日:1999年3月31日 更新日:

みんぐる

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